社会に価値ある何かを残す、こだわりを。私たちが「無名のベンチャー」から、パーソルキャリアになるまで。


1989年に創業した、パーソルキャリア。創業当時の社名は「インテリジェンス」だ。

創業から30年以上経つ現在も、私たちが大切にしてきたこだわりに、変わりはない。それが、ビジネスを通して「社会に価値ある何かを残す」という姿勢だ。今回の記事では、創業からの歴史をひもとき、積み重ねてきたものをご紹介する。

4人の若者から始まった「社会に価値ある何かを残す」ためのビジネス。

インテリジェンスが創業したのは、1989年のこと。最初は、他の企業ではたらきながらの20代4人が立ち上げた会社で、当時はまだ「無名のベンチャー企業」だった。

その時代は明確な主要事業が決まっていないところがありながらも、新卒採用のコンサルティング事業などに注力。とくに需要があったのは「スチューデントレポート」という就活生の情報をリサーチして企業へ提供するサービスだった。採用売り手市場だったバブル経済期には、いかに学生を採用するか、苦戦する企業へのサポートが大いに喜ばれていた。

当時から「会社を経営するからには、社会に価値のある何かを残したい」といった議論が盛んに行われていたことが記録されている。それを体現するかのように、次々と社会のニーズをとらえた事業を立ち上げていった。

バブル崩壊の後、インテリジェンスは人材派遣業を開始する。当時の人材派遣業は、日本では比較的新しい領域であり、トップシェアを持つ企業でも市場占有率は10%ほど。

しかし、社員が行ったリサーチの結果が出るなり、すぐに事業の開始を決定。「こういった結果なので、事業として取り組むべきです」という報告に対し、「じゃあ一緒にやろう!」とその場で事業立ち上げが決まった。

社会のニーズを見極めた新規事業は、事業開始2年目で売上高20億円を上げる急成長を遂げた。

次に進出したのは正社員の転職領域である。当時はまだまだ転職というものが一般的ではなかった時代。注目したのは、労働人口の3分の1が今の職場に不満を抱えながらも、転職を行うのはそのうち5%にとどまっているというデータだった。

社内ではデータを前に、「社会通念だけにとらわれて転職できないとすれば、なんてもったいないことだろう」「企業側の視点から見ても、ミスマッチな人材を雇用しているのは良くないのではないか。流動させるべきだ」といった熱い議論もあった結果、1997年に誕生したのが人材紹介事業である。

まだインターネットを利用した転職活動はメジャーなものではない時代だったが、インテリジェンスはネットワークビジネスにもいち早く注目。正社員の転職領域として求人サイトを立ち上げ、人材派遣業で培ったマッチングノウハウも存分に活かし、事業の成長をかなえようと奮闘した。

また、会社のカルチャーも同じく変化をしていった。

新規事業を次々と立ち上げる中でも、今に続く風土が当時確立された。それが、優秀な人材の採用に力を入れること。役員陣はもちろん、社員総出で採用活動にエネルギーを注いでいた。当時の社長が労働時間の3分の1を採用活動に充てていたという記録もあるほどだ。能力や活力のある人材を確保する重要性を確信し、このころからずっと注力してきたのだった。

もちろんその姿勢は、当時の学生にも伝わった。最初は熱意ある採用のダイレクトメールを目にし、興味本位で見学に来た学生たちも多かったが、本気で自分たちに向き合う社員とのやりとりの中で入社意向は変化した。創業間もない「無名のベンチャー企業」に入りたいと考える学生たちが、次第に増えていったのだ。

社員の声をもとに完成した「はたらくを楽しもう」というスローガン。その価値をお客さまに届け、自らも体現する。

2002年、会社が急成長する中でいま一度、自分たちの存在意義を確認するタイミングが訪れた。明確な目標を掲げ、社内を一つにまとめる必要があったのだ。

さまざまな議論をへて、「人と組織を多様な形で結ぶ『インフラとしての人材サービス』を提供し、社会発展に貢献する」という存在意義が生まれた。社内向けには、「5DNA」と呼ばれる行動原理を定めた。

そして、社外へのブランドメッセージとしてつくられたのが「はたらくを楽しもう」。現在のグループビジョン「はたらいて、笑おう。」にもつながる言葉だ。

これは、トップダウンで定められた言葉ではなかった。多くの社員へ、ていねいなヒアリングを実施し、一人ひとりの語りを掘り起こしたことで見つかった言葉だった。だからこそ、ずっと掲げられる言葉であり続けたといえるだろう。

ワードを掲げるだけでなく、社員自身も「はたらくを楽しもう」を体現できるよう、さまざまな施策が始まったのもこの時期。一例として紹介したいのが、「IKATAI」だ。

「IKATAI」とは、「イカした仕事大賞」のこと。社員からその年の代表的な仕事を資料にまとめて提出してもらい、年間で最もイカした仕事を表彰していた。その数、初年度でも800件以上。運営委員がすべて目を通し、マネジメント陣や役員陣が選考を行っていた。選抜された数組が社員総会でプレゼンテーションを行い、投票で優勝者を決める仕組みだった。

苦難の時代を乗り越え、グループとして、より強い「インフラ」へ。

2000年代には「an」や「salida」「DODA」といったサービスを展開し、組織も拡大、さらに事業の加速を目指すことになった。

もちろん、ずっと右肩上がりに成長し続けたわけではない。2000年代後半に訪れたリーマンショックの際は、売り上げや株価が落ち込み、苦難の時代を経験した。

この時期には、社長交代やUSENのグループに入るなど、企業としてさまざまな手段をとった。あらゆる手段を模索したのは、事業をやめるべきではないと考えていたからだ。道半ばに終わることなく「社会に価値ある何かを残す」という想いを持ち、待ってくれているお客さまのために事業を続けたいと考えていた。

苦難を乗り越えた後、テンプホールディングスとの事業統合を行う。当時のテンプスタッフは、人材派遣・アウトソーシング事業で業界シェアトップを誇っており、経営統合を行えば、さらに「インフラとしての人材サービス」に近づくことができる。自分たちの考える目的のため、また目的地へ最速で向かうための手段として、自ら経営統合を申し出た。

そうして誕生したのが、パーソルグループ。そして、インテリジェンスは社名をパーソルキャリアに変更した。「パーソル」という言葉は、「PERSON(人)」と「SOLUTION(解決)」を掛け合わせた造語である。「人と組織の課題を解決する」という想いが込められ、現在の事業につながっている。

グループシナジーを発揮し、さらなる飛躍を目指しながらも、私たちを取り巻く環境は大きく変化する。情報化社会への加速、人口構造の変化、価値観の多様化、世界的パンデミック。そういった変化に目を凝らし、パーソルキャリアは日々進化を続けている。

変化に適応する中でも変えなかった想い。パーソルキャリアとなったときにも、そしてこれからもずっと変わらない想い。それは、「社会に価値ある何かを残す」というこだわりだ。

では、その「何か」とは?

それは、ビジョンとミッションという形で定義されている。「はたらいて、笑おう。」というグループビジョンに加え、ビジョンの実現をより加速させるため、パーソルキャリアの使命をミッションとして定義した。それが、「人々に『はたらく』を自分のものにする力を」である。

※ミッション策定のストーリーはこちらから

日本の「はたらく」をアップデートする旗振り役として、これからも人々の人生を、ずっと、もっと、考え続ける私たちでありたい。

参考にした書籍:『Intelligence DNA』

2014年に当時の代表であった高橋広敏(現・パーソルホールディングス代表取締役副社長)の著書。

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